不登校への「学校に行かなくてもいいよ」というメッセージにモヤモヤするあなたへ【山崎聡一郎さんインタビュー】
子どもたちが不登校になりやすい、と言われる夏休み明けの時期。近年は不登校への社会的な理解が進んできたこともあり、新学期が近づくと「学校に行かなくてもいい」「逃げてもいい」というメッセージも増えてきたように思います。
しかし、D×Pタイムズが昨年の8月に実施したアンケート調査で「『学校に行かなくてもいい』というメッセージについてどう感じますか?」という質問を投げかけたところ、「もやもやする」「わからない」「よくないと思う」と答えた人が半数以上に上りました。
「腫れ物に触れるように優しくされてるのがゾワゾワする。一般的に普通ではない行為、可能であればやめた方がいい行為に全肯定されると寒気がする。(19歳・よくないと思うと回答)」
「『逃げてもいい』といっても、その子供の親の無理解などによって学びやその他の福祉に繋がらなくなるままの可能性が高いから。逃げた責任は誰も取ってくれないから。(16歳・よくないと思うと回答)」
「行かなくてもいい」と言われて違和感やモヤモヤを感じる子どもたちに大人はなんと答え、寄り添うべきなのでしょうか? D×Pタイムズ編集部は今回、『こども六法』『明日、学校へ行きたくない 言葉にならない思いを抱える君へ』などの著書で知られる教育研究者の山崎聡一郎さんにお話を伺いました。
不登校の理由が明確ならば、それを取り除くのが解決策
──「学校に行かなくてもいい」「逃げてもいい」という子どもたちへのメッセージについて、山崎さんはどのように感じていらっしゃいますか?
山崎聡一郎さん(以下、山崎):文科省が毎年取っている調査(※)を見ると、不登校の要因で最も多いのは「無気力・不安」なんですね。すると、それにかける言葉というのはどうしても具体的にはなりづらく、「無理して行かなくてもいいよ」が主流になってくるのだと思います。
しかし、行けない理由が明確なのであれば、その理由を取り除いてあげることこそが解決策になります。友だち関係に問題があるならクラスを組み替えるとか、先生に問題があるなら転校させるとか。
学校に行けない理由が明確な子が「無理して行かなくてもいいよ」と言われたら、モヤモヤを感じるのは当然ですよね。
また、文科省のデータは子どもたちから直に声を聞いているわけではなく「学校の先生」が把握している内容が反映されています。つまり、文科省の調査では、子どもたちが先生のせいで学校に行きたくないと思っていても「あなたのせい」とは言いづらいから、「なんとなく行きたくない」「自分でもよく理由がわからない」とお茶を濁すしかなく、「無気力・不安」が増えやすい可能性がある。
ですから、D×Pさんのアンケートは文科省の調査とは全く異なるものではありますが、直接子どもたちからリアルな声が寄せられているという点で、見ていて非常に新鮮でした。
(※)文科省が平成23年度から毎年発表している「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」のこと。
保護者に求められるバランス感覚の難しさ
──「『学校に行かなくてもいい』というメッセージについてどう感じますか?」という問いに「よくないと思う」と回答した16歳の、「逃げた責任は誰も取ってくれない」という声も印象的でした。
学ぶ手段は学校に限らず、通信講座や塾、フリースクールなど、学校に行けない分の学びができる場所やものがあることを知らせないといけない。学校に行かずとも生きていられた人だけのことを発信しても意味がないから
山崎:読みました。まさしく、ポイントは責任を取るのは子どもたちであるということなんです。子どものうちはあらゆる責任を親が肩代わりしていますが、それでも学校生活における選択は子ども自身の将来に強い影響を及ぼすことになります。そして将来的には子どもも、自分の選択に対して自分で責任を負う大人にならなければなりません。
「学校に行けない理由がわからない」けど「行きたくない」という場合、じゃあ学校に行かない代わりにどんな選択肢があるのか、じっくり時間をかけて提示した上で、子どもが選択できるようにする。今後の人生でも自分で自分のした選択に責任が取れるよう、導いてあげる必要がありますね。
──保護者が、うまく補助線を引いてあげるようなイメージでしょうか。
山崎:そうですね。しかしここで難しいのが、自分で責任を取らせるバランス感覚。例えば子どもたちが選択した道を選んだことで、成績が下がってしまったり、友だち付き合いがうまくいかなかったりした場合を考えてみましょう。ここで「自分で選んだことでしょ」「自分のせいでしょ」と追求してしまうと、一歩間違えれば「自分の味方になってくれない親だ」となってしまう。
この辺りのバランスが保護者に求められる難しさだと思いますね。
話を否定せず聞いてくれて、アドバイスもしてこない大人の友だち
──子どもが不登校になってしまった時、親はなかなか冷静に「選択肢を提示する」と切り替えられないかもしれません。不登校の問題と向き合うときに、大人に求められるマインドセットはなんでしょうか?
山崎:自分の子どもが学校に行かなくなるということを、まるで自分のことのように考える親が、やっぱり多いですよね。
親というのは、どんな職業で、どんなバックグラウンドを持っていても、子どもができれば誰でも親という立場になってしまいます。必ずしも教育に詳しい人ばかりが親になるわけではありません。多くの親は、基本的には自分が育ってきた環境を自分の子どもにも当てはめようとします。自分にとって学校は楽しくてためになる場所だったのだから、当然子どもにとってもそうだと思ってしまう。または、自分が学校で経験した苦労を、子どもには避けさせたいと思うもの。
僕は、世の中の社会課題の多くは自分ごととして捉えてほしいと考えていますが、こと自分の子どもに対してはもっと他人事でもいいんじゃないか、と思います。しかし、そうは言っても難しいに決まっていますよね。
保護者の側に、自分の思い込みを刷新していくレジリエンスが欲しいのは当然のことながら、子どもが保護者以外の「大人の友だち」を増やしていくアクションも大切な気がします。
──「大人の友だち」ですか?
山崎:もし担任の先生が信頼できるならばそれでいいし、あるいは学年主任の先生、教頭先生、校長先生、スクールカウンセラーなどに相談してもいい。いままで知らなかった大人として、児童相談所の相談員の方もいるかもしれません。いろんな大人に話を聞いてもらってほしい。
不登校や、学校の勉強の相談だけでなく、最近ハマっているものみたいな本当に他愛もない話が気軽にできる「大人の友だち」をつくって欲しいです。自分の話を否定せずにただ聞いてくれて、アドバイスをしてこない大人の友だちがきっといるはずです。
地域の大人と子どもがつながりを、もっと身近に
──D×Pで子どもたちの困りごとを聞いたり、相談に乗ったりしているスタッフたちも、広い意味では「大人の友だち」かもしれません。いや、「友だち」というには、本当に切羽詰まっている状況の子ども、若者たちが多いわけですが……
山崎:学校の先生には言えないけれど相談員には言える、ということがきっとあるはずですよね。自分の状況を説明するにしても、相談を繰り返していることで、自分は何が嫌なのか、どうしたいのかということが明確になってくるはずです。相談の中で状況が整理され、「自分は先生とうまくいっていないんだ」「友だち付き合いが苦手なんだ」と自分の気持ちに気づく。それが解決を講じる上で絶対に役立ってくるはずです。言語化の力ですね。
──保護者でもなく、教育関係者でもない大人ができることもありそうです。
山崎:地方ではまだ、その地域の大人による子どもの見守りが機能しているケースが多いと思います。登下校の時に「いつもここで水やりをしているおばさん」とか、「いつもあそこで掃除しているおじさん」とか、そういう人たち。挨拶をして、ちょっと世間話をするみたいな関係です。
しかし都市部だと人の入れ替わりが激しいので、いま、そういうつながりをつくるのがなかなか難しい。自分の子どもはいないけれど、子どもに何かしてあげたいと感じている大人はたくさんいると思いますが、いきなり知らない大人から子どもが声をかけられたら現代では「事案」になってしまいますね。
でもそれは知らない関係だから「事案」になるわけで、そうならないためには、定期的に学校の地域で子ども・大人を交えた交流会やイベントを定期的にやるなど、つながりを人為的に復活させていく必要があると思います。
ここには保護者の介入も不可欠です。子どもが、自分が知らない大人と知り合いになっていたらびっくりしちゃいますから(笑)。いま、子どもたちはSNSで直接知らない大人とつながることが当たり前になってきていると思いますが、本当は身近な信頼できる大人から紹介してほしいんですよね。SNSには欲しい言葉をかけてくれる大人がたくさんいますが、リスクが大きい。犯罪にもつながる悪いことを考えている人が相当数います。
家にも学校にも居場所がないという子どもたちは本当に多くて、セーフティネットをつくらないと犯罪に巻き込まれる可能性も高くなります。現在も、子どもたちの第三の居場所を拡充していこうと、児童相談所や、図書館、子ども食堂などが頑張っていますが、子ども家庭庁と文科省で連携がうまくいっていない感じはしていて……居場所の選択肢は、無限に増やせればいいのですが。
「かけるべき言葉は、その子によって違う」
──大人の友だちをつくろう、というアプローチ、とても興味深いです。我々大人からすると、子どもの友だちをつくろう、ということになるのかな、と思います。
さて本題に戻ろうと思うのですが、夏休み明けのこの時期、学校に行きたくないという子どもたちがいたら、山崎さんはなんと声をかけたいですか?
山崎:これはもう、本当に、その子どもによって変わってくるはずですよね。
──そうですね、今日はずっとそういう話をしてきました。
山崎:「かけるべき言葉は、その子によって違う」ということをとにかく伝えるべきだと思います。
不登校=マイノリティ、と感じている子がいるかもしれないけれど、マジョリティか、マイノリティか、ということは環境によってたやすく変わるものです。これは人種や宗教においても同じことが言えますね。不登校という属性の人だけを集めたら、今度は自分がマジョリティになるかもしれない。
そういう構造があるから、不登校であるという状況に対して「大多数の人はちゃんと学校に通っているのに」とネガティブに捉える必要はないと思います。
それと同じように、この時期よく目にする「学校に行かなくてもいいんだよ」というアドバイスが自分に響かなかったとしても、それは「自分には響かないんだ」というだけのこと。「あなた」だけの道や解決策があるはずなので、どうか悲観的にならないでほしいな、と思います。
お話を聞いた人: 山崎 聡一郎さん
ミュージカル俳優、教育研究者、写真家、Art&Arts代表。『こども六法』(弘文堂、2019年)は累計売上75万部を売り上げる異例のベストセラーに。小学生の頃にいじめに遭った原体験から、「法教育を通じたいじめ問題解決」を研究テーマに据える。『明日、学校へ行きたくない』(KADOKAWA、2021年、共著)、『10代の君に伝えたい 学校で悩むぼくが見つけた未来を切りひらく思考』(朝日新聞出版、2021年)など、著書多数。
執筆:清藤千秋(株式会社湯気)/編集:熊井かおり
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