30歳、お金がない、老後が不安。そんな私がコツコツ「寄付」を続ける理由。
92年生まれ、30歳。いちおう四大卒。この世代の多くがそうであるように、大学を卒業と同時に約300万円の奨学金(という名の借金)返済を前提に社会人生活をスタートしました。
中小企業に新卒で入社して初任給は19万8,000円。社会人になって約7年、なんとかキャリアロンダリングをしながらだんだんマシな給与をもらえるようになり、一時期ぱっと年収が上がった時期もありました。転職を経て現在はフリーランスになり、この国の女性の平均といわれる程度の収入を得ています。
初っ端からいきなりお金の話をしてしまってすみません。ライターの清藤千秋と申します。東京で暮らしている多くの方がそうであるように、私も都会の隅っこであくせく働いている、吹けば飛んでしまうような平凡なフリーランス(元平凡な会社員)。決して裕福ではないし、どっちかっていうといつも「お金ないな〜」「老後普通にめっちゃ不安だな〜」と怯えながら、積み立てNISAを検索してるタイプです。
そんな私ですが、なんの巡り合わせか「寄付」という習慣をここ3年くらい細々と続けています。
えっ、そんな余裕あんの? と、思われるかもしれません。自分でもびっくりです。手取り16万円くらいで7万円の家賃を払いながら生活していた20代前半の自分が聞いたらひっくり返ると思う。だからこそ、寄付は「お金持ちの道楽」じゃないよということ、そして寄付という行為が与えてくれる暮らしの中の喜びについて、書いてみたいと思ったのです。
現在私は、「株式会社湯気」のメンバーとしてD×Pタイムズの企画・記事作成に関わっていますが、その中で、D×P代表の今井さんをはじめスタッフさんたちが日々寄付集めに苦心する様子を目の当たりにしています。おこがましいとは思いつつも、私みたいな超一般人が寄付と出会ったときのエピソードをシェアすることが、何かの役に立つかもしれない。そう願いながら、書き進めていきます。
「まじで今月の家賃どうする!?」という20代前半
まず、「寄付」と聞いてどんなイメージが湧きますか?
わたしが思い浮かべるのはビル・ゲイツとオプラ・ウィンフリー。日本だと杉良太郎さんとか? そういえば、棋士の羽生善治さんが10年で億単位の寄付をしていたというのが最近ニュースになっていました。やっぱり、「寄付」という言葉には、ふんわりと「財を成した有名人」が「多額」を投じているイメージが紐づいてくるように思います。とか言いながら、300回生まれ変わってもビル・ゲイツレベルの財を成すことは無理そうな私が、なんで寄付行為に目覚めちゃったのか。私のこれまでのキャリアと無関係ではないと思います。
新卒で入社した中小企業はファッション系で、回し車を走るネズミのようにひたすら働きました。家には寝に帰るだけ。ファッションの業界って、自社が取り扱うブランドの服を買って店頭に立たないといけないので、出ていく金額も多いんです。給与少ないくせに。けっこう高価なブランドを取り扱う業態だったので、「うちの会社の給料でうちの会社の商品買えないよね〜(笑)」っていうのが社員の定番のぼやきでした。
もちろん貯金はゼロ。でも、まじで今月の家賃どうする!? っていうときに限って、高齢の親戚が亡くなって香典が必要になったり、スマホを落として画面を割っちゃったりするんですよね。身の回りの色んなものを売って当座をしのいだ記憶があります。
いま思い返すと、よく毎月生き延びていたな……
でも、社会全体が貧しいし、希望がないことも当たり前という時代。しんどいながらも「こんなもんでしょ」って感じで、なんとか目の前の仕事にしがみついて生きてました。
この「社会」の中で生きている自分のことが見えてきた
2回目の転職で私は「ハフポスト日本版」に入社します。「ここはベンチャー企業」とみんなが言っていましたが、朝日新聞系列でしたし、周囲を見渡せば、超難関大学、超有名企業出身の人ばかりでビビりました。お給料、けっこう上がってうれしかったです。私はビジネス部門のディレクターとして働きました。ジェンダー問題、SDGs、ビジネスと人権……媒体の特色もあって、多くの社会課題に触れることになります。
それまで、うすらぼんやりとフェミニズムに共感を覚えていた程度の私が、「社会構造の中の自分」をより深く意識するようになっていきました。
高校生のときに痴漢にあっていたけど、それは同級生の間でも日常茶飯事で、笑い話にすることが当たり前だったこと。大学卒業時点で奨学金返済という「借金」を背負わされていること。25歳で結婚したとき、ちょっとモヤモヤしながらも「そういうものだから」と思い込んで私が苗字を変えたこと。 自分が生きることに必死すぎて、子どもを産みたいなんてとても思えないこと。
日常の中のイライラも、モヤモヤも、自分の人間性を顧みられなかった思い出もぜんぶ、「私のせいってばかりじゃなくて、社会構造の問題もあったんだ」とわかった。こういう瞬間に出会い、胸のつかえが取れたような体験をした方、たくさんいると思います。
自分の特権を自覚して居心地が悪くなる日々
さらにスコープを「自分」から少しずらしてみると、この社会は意味がわからないくらい、たくさんの不条理にまみれている。虐待、貧困、障がいがあるからと制約される生活、医学部入試での女性差別、もっと巧妙に生活の中に浸透した内面化された女性差別、愛する人と結婚するという権利を与えられない人びと、入管施設で虐待され殺される人びと、故郷に帰れない難民──。
私は? 苦労もしてきたけど、十分恵まれていたじゃん…って気づきました。
実家は決して裕福ではなかったけれど、両親がいて、私立の中高一貫校に年間100万円の学費を払うガッツを持っていました。給料が安かった時代だって、空腹で死の淵を見たこともなければ、眠るために屋根を求めさすらったこともない。この人と一緒に生きたいな、と思った人と法律婚だってできたわけです。この社会の中で生きる自分の輪郭が見えてくると、自分の持っている特権を自覚して、ものすごく居心地が悪くなりました。
毎日膨大な量のニュースが飛び交うウェブメディアという性質上、いま思うとちょっと「Compassion fatigue(共感性疲労)」に近い状態に陥っていたかもしれない。社会にはこんなに困っている人がいて、何かしなきゃいけないのに、ただの会社員が何をしたらいいのかわからない。めいっぱい働いて帰宅は深夜という日々の中、時間も取れませんでした。
鬱屈としていたときに、めちゃくちゃ久しぶりに自分の通帳の残高を見て気づいたんです。生まれて初めて、口座の残高が7桁に到達していました。
「え……? わたしいま、お金持ってるじゃん……」
寄付は誰かのための行為であると同時に、自分のためにすることだと思った
そうだ、寄付しよう。寄付すればいいんだ。自分みたいな特別な能力もない会社員が社会課題を解決するなんて無理。拳を突き上げてデモを歩き、名前と顔を出して性被害を告発し、地球環境のためにハンガーストライキをする、抑圧と戦うあの人たちと同じように前線には立てないけれど、いまの私にはお金がある。
自分の思いつきに興奮して、まず検索したのが「マリッジフォーオール 寄付」でした。ハフポストでも婚姻の平等裁判はよく報道されていたし、自分の興味関心と照らし合わせても、まずはここだと思いました。ウェブサイトを見ると、「マリフォーサポーターは、1口1000円からお申し込みいただけます。」と書いてありました。けっこう衝撃を受けました。えっ、1000円からできるんだ。すぐにカード情報を登録しました。
マリフォーから初めて領収書が送られてきたとき、なんとも言えない感慨に襲われたのを思い出します。自分を苛んでいた罪悪感が、ちょっと薄れたような気がしたのです。めっちゃ自己満足ですよね。その意味で、あぁ、寄付って、誰かのための行為でありつつ、何より自分のためにすることなんだなあ、と思いました。
よく投資のセミナーとかで、資産運用をして不労所得を得ることが「お金に勝手に働いてもらう」ってフレーズで表現されますが、寄付もまさにそれだと思います。お金の先にいる誰かに願いを託して、使っていただくんです。
ハフポストを退職しフリーランスになったいまも、私は寄付を続けています。収入が大きく減ったので少し金額を調整しましたが、マリフォーに月々3,000円、UNHCRに月々1,500円というペース。さらに株式会社湯気として、D×Pへの月々の寄付にもジョインしています。
「”みんな” で頑張って生きていこうよ」
寄付って、お金持ちや、特別な人がするものだと思ってました。
でも、前述の通り、マリフォーは毎月1,000円から、D×Pも毎月1,000円から支援できます。気候危機対策、子育て支援、難民支援などなど、自分が気になる社会課題がある人はぜひ調べてみて欲しいです。
D×P代表の今井さんは繰り返し「少額でも月額寄付はとにかくありがたい」と発信しています。寄付を基盤に運営されている多くの団体がそうですが、定期的に入ってくる金額がわかれば、支援のための活動計画が立てやすいのです。私も、そんな話を聞いてから、無理のない金額を設定して「細く長く」続けようと意識するようになりました。
懐事情との相談であることは間違いないので、そのときの状況にもよりますよね。私だって、20代前半で寄付なんて絶対無理だった。目の前の暮らしに精一杯な人は、まずは生き延びてほしいです。いまこの社会で、真っ当に生きるって、超ハードだから。もし、今月家賃を払えるだろうかという不安から解放されて、自分以外の誰かに目を向けられる余裕が少しでも生まれるようになったら、ちょっとこの記事を思い出してくれると嬉しいです。
いま、私は寄付を通じて、「あのとき苦しかった自分」や、「もしかしたらそうなっていたかもしれない自分」を抱きしめているような気持ちになる。さらには、お金を介してつながっている人たちとの絆を勝手に感じて、私ってひとりじゃないんだな、と感じます。
私の特権も、あなたの特権も、私のマイノリティ性も、あなたのマイノリティ性も、ぜんぶ一緒に考えながら、「“みんな” で頑張って生きていこうよ」と手を取り合う行為のようだと思う。それは確かに暮らしの中の「喜び」であり、もっと言ってしまえば「癒し」にもなっています。そういうお金の使い方があるなんて、誰も教えてくれなかった。
寄付をする、しないに関わらず、この記事を最後まで読んでくださった方にこの言葉は届けたいです。
執筆:清藤千秋(株式会社湯気)/編集:熊井かおり
「自分にできることはないかな?」と思ったら
10代の孤立を解決する認定NPO法人D×Pには、1,000円から寄付ができます。ぜひご検討ください。
あなたも、不登校経験・経済的困窮・発達障害などの生きづらさを抱えた10代を孤立させないセーフティネットをつくりませんか?
また、この記事について家族や友人と話してみたり、SNSで「#ユキサキライター」をつけて感想を投稿してみたりも嬉しいです。この活動の輪を広げるお手伝いをお願いします。
ユキサキライタープロジェクト
produced by D×P,株式会社湯気
ユキサキチャットに登録する若者の声を社会にもっと届けていくためのプロジェクトです。さまざまな背景や課題意識を持つ人々(通称ユキサキライター)を軸に、仲間を増やしていくことを目指しています。
書いた人: 清藤 千秋
編集者・株式会社湯気 ライター
1992年千葉県生まれ。ライター。
ファッション業界、編集プロダクションを経て、2020年ハフポスト日本版に入社。ビジネス部門でクリエイティブディレクターとしてコンテンツ制作に携わる。現在はフリーランスのライターとして、 ジェンダー、SDGs、ビジネス、カルチャーなどのテーマで幅広く執筆。
2022年参院選で「女性に投票チャレンジ」参画。世田谷ボランティア協会情報誌「セボネ」編集員。
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