「一概に休めばいい、行かなくちゃいけない、なんて言わないで」不登校について13~25歳、307人と一緒に考える
2022年8月3日(水)〜8月10日(水)まで、ユキサキチャットに登録している13~25歳を対象に「学校・教育に関するアンケート」を実施しました。307名から回答が届きました。
文部科学省が発表した「令和2年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」によると、小・中学校における長期欠席者数 287,747 人(前年度252,825 人)。高等学校における長期欠席者数 80,527 人(前年度76,775 人)となりました。
調査の上では、長期欠席や不登校と一言にまとめられていても、ひとりひとりに背景があり考えがあります。わたしたちは、若者の声に社会を動かすヒントがあるのではないかと考えています。そんな彼らの声を社会へ届けていきたいと思っています。
D×Pは、若年層と関わるとき「否定せず関わる」ことを大切にしています。相手や自分の考え方、価値観、在り方を否定せずに、なぜそう思うのかと背景に思いを馳せながら関わる姿勢です。ぜひ、ひとりひとりの状況を想像しながら“声”を読んでみてください。
学校に行きづらい感じたきっかけや、その時に感じていたこと
学校を休んだ日は楽しんではいけない、家では笑ってはいけないと思っていた。
担任も無視です。オンラインで受けると理由は?(と聞かれます)お母さんが病気でコロナになると命にかかわるからと言うと証明を出せといわれ、病名がわかる証明を出せとか病院名を教えてとふつうじゃなくプライバシーのしんがいでは?
学校へのふしんが強くて怖くていけません。クラスメイトの目線も怖くていけてません。
私はなぜきらわれないといけないの?
また、周りの同級生にも揶揄されたり、いらぬ同情や気遣いをされたりと求めていないことをされることも多く、とても居心地が悪かったです。また、歌のテストや体育のテストなど、みんなの前で発表して、その場で先生に批評されることがつらかったし、恥ずかしかった記憶があります。
中学生になって、僕は野球のクラブチームに入り、入る時に親との約束で、家の手伝いと勉強をやることだったので、頑張りましたが、中学では勉強も難しいし、土日は野球でヘトヘトでした。僕は頑張ってるのに、親は毎日もっと頑張れとうるさく言われました。2年生になって野球の方もやっと、試合で投げさせてもらえるようになってきましたが、緊張でストライクが入らなくてフォアボールで、途中で交代させられ、自信を無くしてしまいました。そのことがきっかけで、野球も学校も嫌になり不登校になりました。
アンケートの回答者はどんな人?
学校に行きづらいと感じたきっかけ。理由は複数にわたる
「学校に行かなくてもいい」「逃げてもいい」というのは解決になるのか?
夏休みが終わる8月末から9月に、不登校の子どもに向けて「学校に行かなくてもいい」「逃げてもいい」というメッセージを多く見かけます。D×Pは10代の声を聞く中でこの解決策が当事者にとってよいものなのか?という疑問を持ちました。学校に行きたくない・行けない理由は、ひとりひとり違います。「逃げることはよくないことである」という風潮も少しずつ変わってきた今、学校や学校外でできる学び・サポートを当事者と共に考えていく必要があると考えています。
保健室から早退を繰り返して時折授業に出る方法(帰宅して自習はした)で学校に通っていても成績がガタ落ちしていたのに完全に通わない子は成績が落ちないのかってのも不安。世の中学歴社会だし。
全肯定するんじゃなくて一緒にどうすれば戻れるか考えて欲しいし、不登校の原因が当時の私みたいにわからないこもいるだろうし原因が分かれば戻れる子もいると思う。とりあえず全肯定で真綿で包むようにしないでほしい。
学ぶ手段は学校に限らず、通信講座や塾、フリースクールなど、学校に行けない分の学びができる場所やものがあることを知らせないといけない。学校に行かずとも生きていられた人だけのことを発信しても意味がないから
それを先生や親や世間が、学校に行かないやつは悪だ、とか進路どうするの?と焦らせるとか、学校を休まないよう圧力をかけるだとか、そういった本人の選択を阻む行動をとることがおかしいと思います。だからこそ、本人の意思に寄り添って答えを出すのを待ってあげて欲しいです。
一概に休めばいい、行かなくちゃいけない、なんて言わないでください。
学校行けって言われると泣きそうになる。行かないととは思うけど行きたくない。もうわかんない
「学校に行かなくていい」と言うだけでは無責任な気がするので、その後どうするかをサポートするのが一番大事なのではないかと思う。
自分も不登校なので何様ではあるけど
逆に行けない理由があるなら大人や周りの人間が最低限のことを教えてあげるべきだと思う
”学校”や”教育”に関して感じることはありますか?
保健室登校、リモート授業を出席日数に入れてほしい。
授業外でのサポートを手厚くしてほしい(自習室に教師が在中している・学校OBがチューターとして勉強を見てくれるなど)
学校は学びに集中できる場であってほしい。
保健室登校時代、保健室利用者に会うたびに奇異の目を向けられててヒヤヒヤしたし、図書室も国語の授業で使う生徒がいたので。
保健室の先生も保健の仕事でバタバタしてたし心理の専門ではなかったからわからないところは週1でくるカウンセラーさんの予約をとって話を聞いてもらわないと行けなかったしなんか不便だった。
大人だけで考えるのはもうやめてほしい。
そして、大人だけで考えるのはもうやめてほしい。
(2022年9月29日追記)8月22日に記事を公開してから、読んでくださった方の感想や意見を募集してきました。10代〜70代まで幅広い年代の方からご感想をいただきました。寄せていただいた、いくつかの声をご紹介します。
私は保護者の立場です。日本の教育制度はかなり遅れています。 仕事では有休や傷病休暇があるのに、学業は欠席が悪。皆と一緒が当たり前。
学校制度、リモートでの出席、閉鎖的な教室、先生の立場を利用したモノの言い方。全て見直しが必要です。
子供が登校出来なくなり、通信制になり、頑張りたくても頑張れない。それでも救う仕組みが無いことを知りました。今はただただ心の回復を待つだけです。(匿名さん/40代)
「学校に行かなくてもいい」という言葉は解決になるのか。とても関心深く読ませていただきました。
川の向こう岸に渡りたいけれど泳ぐことができない人に「泳がなくても船を使えば良いんだよ」「あっちに橋があるよ」と言うことはできますが、今まさに溺れかけている人に同じ言葉をかけられるでしょうか。
あることに悩む人に対して自分が欲しかった、あるいはその信条に似た権利をさも救いの様に只々振りかざすだけの人を気持ち悪く感じる時があります。
…そんな偉そうなことを言いながらも、仕事上不登校の学生の相談を受けることが多々あるのですが、どのような言葉で受け容れるのがその人にとって適切なのか悩ましい日々です。きっと私も、無意識の内に私の目線で応えている未熟な一人です。
正解の無い問いに葛藤し続けていることを糧とせめてもの矜恃に、一人ひとりの人生と全身全霊で向き合っていきたいと改めて痛感することが出来ました。
(匿名さん/20代)
学校と日々格闘する、3人の子の母親です。学校制度の変換期だと感じます。
小学生の末っ子と母子登校をしたり、高校の先生方ともお話しを繰り返しながらおります。学校生活の自由の無さや、先生自身がカリキュラムに追われ、個性を失い、萎縮している様子です。そのような環境で、子供達は自ら考え生きる力をどう育むのだろうか?と疑問に感じます。
同調圧力をかけやすい学校生活で、多様性がなんたるかを、大人が深く理解し、子供達と接していかなくてはならないと思います。
(匿名さん/40代)
『腫れ物に触れるように優しくされてるのがゾワゾワする。一般的に普通ではない行為、可能であればやめた方がいい行為に全肯定されると寒気がする。』と言う言葉に打ちのめされました。まず、肯定しなくてはと思っていたからです。難しい、一緒に考えたいのですが。
(匿名さん/70代)
学校教員をしながら、フリースクールの運営に携わって3年が経ちます。色々なことが見えるようになるほど、課題は多いと感じる日々です。とてもやりがいも感じています。解決を焦らず、目の前の一人ひとりを大切に過ごしたいと思います。
(匿名さん/30代)
今高一の不登校の子供がいます。全く思いを聞けない状態なので、大変貴重な子供たちの生の声を聞けて嬉しく思いました。胸が締めつけられたり、なるほどと感心させられたり…もっともっと子供たちの声を世の中に広めてほしいです。
未来は子供たちが担うのに、どうしてもっと大切にしないのでしょう。子供を大人の思い通りにさせようとするのはもうそろそろやめないといけない。
(匿名さん/50代)
本当に欠席日数での留年の意味がわからない。そして、逃げてもいいんだよという言葉は時によっては、その子を傷つける事にもなる。私も夏休み明けの二学期が不安で仕方がない。毎日泣いたりだってしている。青春を楽しまなくちゃ損だという人もいるが、悩んでいる子にとっては青春など眼中に無い。毎日の学校に不安でいっぱいなのだから。心の問題は表面には出にくい。人のいるところでは私はパニックになりやすいと最近気づいても、誰にも言えずに学校へ行く。こういう子は沢山いる。その子にとっての最善は慣れるしかないのか。
(匿名さん/10代)
この声が教員の全員に届くことを願っています。
「辛ければ学校に行かなくていい」ではなくて、辛くない学校にする努力を怠った結果が今だと思います。学校は子どもたちのためにあるべきです。
(匿名さん/50代)
学校に行きたくない、行きたいけど行けない、行けるけど辛い、等悩んでる子どもの数だけ理由なりケースがあると思う。杓子定規に決めるのではなく、個人に寄り添うしかないと思う。
また、学歴至上ではなく、何歳になってもチャレンジ出来る世の中になれば、学生時代に躓いてもいくらでも挽回できると希望が持てるのではないかな。
(40代)
思いきって学校の仕組みを変えてほしい、子供も大人ももっと自然体で笑顔で過ごせる(無理に笑顔をつくる必要はない)場所になってほしいと思います。子供も大人も余裕が無くてギュウギュウすぎて、見ていて辛いです。
自分には、学校を作り変えることができる力量が無いことがもどかしいです。けれど、自分にできることは何か、自問自答しています。こんな大人もいることを知っていただけると嬉しいです。おばあちゃんが「子供は宝。とにかく体を大切に。元気でいてね。」とよく言っていました。自分の子供だけじゃなく、みんなみんな宝です。
(40代)