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教育格差は誤解されている?実態を知り、根本的解決を目指すためには

私たちは誰しも、生まれ育つ地域や家庭を選べるわけではありません。その違いが将来的に格差になるという傾向が、社会には確かに存在しています。

「親ガチャ」をはじめとする「〇〇ガチャ」という言葉が一般化しつつあることもあいまって、「“生まれ”と格差の関連性」に関心を寄せる人も少なくありません。

松岡亮二(龍谷大学社会学部准教授)さんの著作『教育格差(ちくま新書)』では、子ども本人が選択できない初期条件(“生まれ”)である、出身家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status, 「SES」と省略)、出身地域、性別による格差について未就学から高校まで多角的なデータが示されています。

この日本社会の課題についてさらなる理解を深めるべく、D×P代表の今井紀明がお話を伺いました。

「教育格差」と「学歴格差」が混同されがち

今井:D×Pの寄付者さんのなかには、「教育格差」に関心を持っている人たちが多いんです。改めて、教育格差とはどういう社会課題なのか松岡さんに解説いただきたいと思います。

松岡さん:「教育格差」は、出身家庭のSES、出身地域、性別などの初期条件(「生まれ」)によって最終学歴などの結果が違う傾向を指します。近年では人種や国籍も重要性が増してきています。

私は大規模計量データを用いて「社会全体の傾向」を読み解く研究を行なっています。たとえば、大学進学に「不利な条件」として地方出身がありますが、全員が大学進学しないわけではありません。それでも「有利な条件」である大都市部出身より進学率は低い。個々の経験だと当てはまらないかもしれませんが、大まかな傾向は存在します。

今井:松岡さんが2019年にちくま新書から出された『教育格差——階層・地域・学歴』は大きな話題になりましたね。

松岡さん:ありがとうございます。興味を持っていただけるのはありがたい一方で、読んでいただいた皆さんの反応をSNSで見たり、メディアの取材を受けたりしていると、「教育格差」という言葉の定義がふわふわしてしまっていると感じます。

よくあるのが、教育格差と学歴格差の混同です。

教育格差というのは、出身家庭のSES、出身地域、性別といった「生まれ」によって結果に差がある傾向です。一方、学歴格差は、学歴によって職業や収入などに差がある傾向を意味します。

学歴によって就職機会などに差があることは往々にして批判されます。ただ、社会経済的に恵まれていない家庭出身や地方出身という「不利な条件」でも、本人の能力と努力によって高い教育を受けることで社会的に成功できるという「生まれ変わり」の機能が学歴には託されています。

しかし実態としては、学歴は本人の能力と努力のみの結果ではありません。「生まれ」によって教育の結果に差があり(「教育格差」)、学歴によって職業や収入などに差があります(「学歴格差」)。これだと「生まれ」が学歴を介して収入を含む社会経済的地位の達成を制限していることになります。

まずは、教育格差と学歴格差の違いを踏まえて、それぞれにどのような課題があるのか整理すると、建設的な議論ができると思います。

子どもの貧困や教育格差は「最近の問題」ではない

今井:本のなかで松岡さんが、相対的な子どもの貧困や教育格差は「最近だけの問題ではない」と書かれていたのが印象的でした。僕の個人的な感覚としては、ここ数年でよく聞くようになったと感じるのですが……

松岡さん:時代によって多少の変動はありますが、傾向としては変わりません。例えば、近年の相対的貧困率は1980年代と比べると確かに上がっていますが、子どもの人口は減少しているので、困難な状況に置かれている子どもの絶対数そのものはあまり変わらない計算になります。1980年代にも子どもの貧困はあったわけですが、経済が成長しているときは目線が上に向いていたのか、ほとんど新聞記事になっていません。頻繁に報道されるようになったのは2008年頃からです。時代の空気に合致したのだろうと思います。

では、近年の変化がまったくないかと言われれば、多少はあります。コロナ禍になって以降、メディアの関心は「格差拡大」に集中しました。研究者として実証データに基づいて回答を提出するために研究を続け、雑誌『中央公論』2024年10月号にコロナ禍前後の学力の変化に関する分析結果を紹介した記事を発表しました。

今井:コロナ禍のD×PのLINE相談では「学校に行けなくて辛い」「仕事がなくなってどうしたらいいのかわからない」といった相談が大きく増えていたんです。現金給付や食糧支援でも緊急サポートを行ないました。『中央公論』の記事でその時期の影響がどう分析されているのか、とても気になります。

松岡さん:苅谷剛彦教授(オックスフォード大学・当時)の呼びかけで中村高康教授(東京大学)をリーダーとする私を含む教育社会学研究チームで、文科省の委託を受けた複数時点の大規模調査を実施しました。
分析結果を簡単にまとめると、コロナ禍以前からあったSESによる学力格差が「僅かに拡大」していました。日本では劇的な変化があったわけではなく、そもそもコロナ禍以前からのSES格差が大きいので、パンデミック期間の拡大分だけではなく、元から存在する教育格差という実態を踏まえた上で是正策を議論すべきという提言を行ないました。詳細は『中央公論』でご確認いただけますと幸いです。前半部はオンラインで無料公開されていて、私自身が訳した英字版の全文は外務省の海外発信サイト(Discuss Japan)に掲載されています。

視界の範囲だけではなく、データに基づいて社会全体についての議論を

今井:教育格差や子どもの貧困は「最近の問題」ではない、という理解が広がることで、松岡さんが期待されていることはなんでしょうか?

松岡さん:実態把握が雑だと議論の出発点がズレてしまいます。病気の診断が間違っていたら、どんな薬や手術が必要かの議論はできませんよね。拙著『教育格差』では、第1章で子どもの貧困を含む教育格差がどの時代にも存在したという実態をデータで示すことで議論の前提を整理しました。現時点で何歳であっても、戦後日本社会に育ったすべての世代は無関係ではないですよ、と。

私も皆さんも全員が当事者なわけです。ずっと日本社会が解決できてこなかった課題という前提に立てば、雑な思いつきの対処療法的な政策では不十分という認識になるかと思います。

私が求めているのは、真っ当な議論です。教育は多くの人に影響を与える政策の議論であっても経験に基づいて話しがちです。自分の視界に入る範囲を過度に重視したり、自分の経験が他者にも当てはまる前提の議論も散見されます。データで社会全体の実態を共有し、これまでの研究の知見を踏まえないと、過去と同じような議論の繰り返しになってしまいます。詳しくは拙編著「教育論の新常識——格差・学力・政策・未来 (中公新書ラクレ)」の「あとがき」をご覧いただければと思います。

もっとも、社会全体の実態を俯瞰したデータに基づいた教育格差の議論に対して心理的な抵抗を覚える人も少なくないかもしれません。

たとえば、両親非大卒の家庭で育った地方出身の女性が、高校卒業後に地元で働いているとします。その方が教育格差のデータを知って、もし自分が両親大卒で世帯所得の高い家庭に生まれた都市部で育つ男性だったら、東京の大学に通ってそのあとの収入はもっと高かったかもしれない──といった可能性を考える時、自分の人生が否定されたかのように感じるかもしれません。

「生まれ」が違うことであり得たかもしれない人生を想起することを、小説や映画で他者の人生を追体験するような思考実験として楽しむ人もいるでしょうけど、そのような人ばかりでもないかと思います。

今井:そういえば、最近『なぜ地方女子は東大を目指さないのか』という本を読んだのですが、出身地域と性別で内面化する価値観がこんなにも違って、こんなに可能性が狭められてしまうんだ、と改めて認識しました。

松岡さん:もし地方出身の女性が現在よりもっと東京の大学に進学を望むようになると、自分の娘に地元にいて欲しい親との間で葛藤が生じ得ます。進学の推奨が「家族を壊している」という見方もできます。

ただ、子どもが自身の可能性を最大限に追及する姿は、本来、望ましいはずです。「自分にはそんな機会が与えられなかった」を含むさまざまな感情があるかもしれませんが、どんな立場であっても、ひとりひとりが可能性を実質的に追求できる社会を目指すことには合意して欲しいと願っています。

教育については政治信条などによって意見が違うように見えることもありますが、言葉の使い方が違うだけで目指す未来はそんなに大差ないと思います。たとえば、私は、(いわゆる)保守派には「『日本の子ども』たちが、“生まれ”によって可能性が制限されている実態はそのままでよいのでしょうか」と問いかけますし、経済合理性を重視する人には、「ひとりひとりが可能性を追求できる教育への投資」と「日本の労働生産性」が無関係ではない点を強調するようにしています。同じ食材でも、お客様の好みに合わせて調理法や盛り付けを変えている感じです。

ひとりでも多くの人に建設的な議論に参加してもらいたいと願っています。誰も敵ではありません。私たちの社会の話をしているわけですから。

訴え続けて、うねりをつくっていくために

今井:D×Pが関わっている子は、教育格差という社会課題の皺寄せを大きく受けている層になると思います。だからこそ真剣に向き合わなければいけないと思うのですが、一体、どんな一手が必要なんだろう、と考えさせられます。

松岡さん:私が『教育格差』を書いた理由の一つは、単純に「ひとりではほとんど何もできないから」です。多くの人に理解して頂いて議論の仕方を変えなければ、過去数十年と同じく、「生まれ」によって人生の可能性が制限されている「凡庸な教育格差社会」は大きく変わりそうもありません。教職課程と教員研修で教育格差の必修化を提言して、そのための教科書(『現場で使える教育社会学 教職のための「教育格差」入門』(ミネルヴァ書房))を教育社会学者16人で力を合わせて作ったのも、小学校から高等学校までの年齢層と日々向き合っている教師約100万人にご理解頂ければ大きな力になると思ったからです。

今井:確かに、まずは若者たちと接する大人が正しい理解をする必要がありますよね。ただでさえしんどい状況にいる若者に「問題を構造化して捉えよ」と求めることは難しい。その子達を取り巻く教員の方や僕らのようなNPOの人間が、状況をメタ認知できているかは大事だと思いました。

先ほど松岡先生がおっしゃっていた相手によって言葉を変える工夫は、僕も日頃けっこう意識しています。僕らは実は同じ方向を見ているんですよ、という整理はかなり大事ですよね。

あと、言い続けていくことの大切さも感じます。D×Pの活動は、たとえその意義が伝わらなくても簡単に諦めるような問題じゃないですし、長期的な視点を持って言い続けていくしかない。

例えば、NPOへ寄付をしている寄付者さんのなかには、「困っている人のため直接お金を使ってほしい」「組織の経費に使ってほしくない」と思われる方も少なくありません。でも、スタッフの人件費を確保しないと活動がままならなくなってしまう。「うちはスタッフに給与をちゃんと支払います」「賃上げをします」と、言い続けるなかで理解を得られてきた実感があります。

松岡さん:私はもう「言っても伝わらない」の繰り返しなので、ちょっと疲れちゃっています。

記事の出だしの数行だけ読んで判断しているような反応を見かけると虚無感を覚えます。ただ、皆さんそれぞれ日々の生活で忙しいため、長期的な視点や社会全体を俯瞰した議論に関心が向かないのも無理はありません。

本来は、社会全体にもっと余裕があった高度経済成長期に、貧困を含む教育格差に対する政策を体系的に打っておくべきだったんです。社会が縮小し始めてからだと、誰だって自分が溺れないよう精一杯で、他者を慮ることは難しくなりますよね。

ただ、悲観的になっても何も変わらないので、できる限り楽しく話したいなとは思っています。「生まれ」によって人生の可能性が制限されている実態と向き合うことは、それを「受け入れよう」という意味ではありません。いかに自分たちが不自由なのかを知ることは、実際に自由になる方策を考える第一歩です。

人生の可能性の追求は、本来面白いことのはずです。私は昔バックパッカーをしていました。40を超える国と地域を旅して、自分の知らない世界を見ることが純粋に楽しかったんですよね。

「自分の人生こんなもの」じゃなくて、もっと自由になりたいし、生きていて良かったと思える瞬間を少しでも多く得たいじゃないですか。そうやって自分の人生を楽しんでいる人が少しでも増える社会を目指して、データで実態と向き合って、実際に個人が可能性を追求できる教育に投資する教育論を主流にする。こういう提案に対して、数%でも反応してくれれば、それがうねりになって、実際に政策も変わっていくと信じています。

教育格差の是正は、社会のひとりひとりが当事者意識を持ちながら社会全体で取り組むべき大きな課題であり、一朝一夕で解の出るものではありません。大きすぎる課題を前に途方にくれることもありますが、自分たちの活動は無力ではないと信じています。
例えば、地方の高校生で親に頼れずに進学を諦めている子に対して、LINE相談のユキサキチャットを通じて長く関わっていく中で、本人が「専門学校に行ってみたい」と話しはじめ、結果的に進学をサポートすることができたこともあります。
2024年には佐賀県とも協定を結び、佐賀県へのふるさと納税を通じてD×P への寄付(=ユース世代への支援)にご参加いただける枠組みも開始しました。他にも奈良市をはじめ様々な地方自治体と協定を結び、皆さんひとりひとりの支援を若者の未来につなげるべく、活動を広げていっています。
私たちは若者と出会う中で、彼らが置かれている環境や状況に関して、「自分のせいだ」と苦しい思いをしたり、周囲に頼れずにさらに深刻な状況に陥ってしまったりする姿をみてきました。若者がどんな境遇にあったとしても、これからの社会を生きていけるセーフティネットをつくるために、現場からできることを着実に実践していきたいと思います。
今井紀明

お話を聞いた人: 松岡亮二さん 

ハワイ州立マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。早稲田大学准教授などを経て、2022年度より現職。早稲田大学リサーチアワード「国際研究発信力」(2020年度)などを受賞。2019年に刊行された『教育格差』(ちくま新書)は1年間に刊行された1500点以上の新書の中から中央公論新社主催の新書大賞2020年の3位を受賞。17刷を重ね、電子版と合わせて7万2000部となった。共編著に『現場で使える教育社会学 教職のための「教育格差」入門』(ミネルヴァ書房)、『東大生、教育格差を学ぶ』(光文社新書)。


聞き手・執筆:清藤千秋・南麻理江(株式会社湯気)/編集:熊井かおり

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