「ゆるい共同体」だったらつくることができる【内田樹さんインタビュー】(後編)
前編では、戦後の時代に相互扶助で成り立っていた地域社会が経済成長によって崩壊し、個人消費の活動が盛んになればなるほど、家族までも解体していったことをお聞きしました。
しかし、いまは以前よりも経済は衰退しているにも関わらず「消費活動を通じて自己実現、自己表現する」という考えだけが残っています。そのせいで自己責任論が叫ばれている状況があることをお話いただきました。今回は後編になります。
地縁共同体とも血縁共同体とも違う、「ゆるい共同体」
「コモンの再生」ということをずっと前から言っているんだけれど、それはさしあたりは相互支援、相互扶助のためのネットワークを立ち上げることを指している。地縁共同体とも血縁共同体とも違う、「ゆるい共同体」。自由に加入できるし、自由に脱退できる。
メンバーであれば、相互扶助のネットワークに登録されて、困ったときには支援を期待できる。メンバーシップは、共同体の「ルール」に従ってもらうこと、凱風館の場合だと、「場」に対する敬意を忘れないこと、それだけ。
メンバー誰かに子どもが生まれたら集団で迎え入れて、みんなで育てる。メンバーの誰かが死んだら、みんなで送り出していく。病気になったり、失業したりした人がいたら、なんとかして生活を支援する。
むかしなら親族ネットワークや地域コミュニティが果たした仕事を、僕は凱風館という「ゆるい共同体」で引き受けることができるんじゃないかと思っているんだ。「揺り籠から墓場まで」、一通り全人生をカバーできるような共同体の雛型だけはとりあえずできたので、あとはこれをどれくらいタフなものに仕上げてゆくかがが課題だと思う。
いまはもう強固な絆で結ばれた「きつい共同体」は再興できないと思う。凱風館も、自由に集まってきた人たちが、一緒に旅したり、泳いだり、スキーしたり、麻雀やったり、ハイキング行ったりという楽しく遊ぶ「ゆるい共同体」。
でも、ひとつ違うのは、凱風館は道場であり学塾であるということ。ここに参加する人たちは門人も、ゼミ生も、そこで「成熟してゆくこと」が求められる。共同体にコミットすることで、コミットする前とは「別人になる」ことが求められる。合気道に習熟し、ゼミで知的に成長する。コーヒーショップのような「ゆるいサードプレイス」とはそこが違う。
──共同体を再び取り戻すために、どうお金を用いればよいのでしょうか?
自分だけのためではなく、コモンの再生と維持のためにお金を使う人のところにお金が集まるような仕組みが大切だと思う。凱風館共同体では、たぶん僕が一番お金持ちなので、僕にお金を一番たくさん使う義務がある。だって、僕のところにお金が集まるのは、いろいろな人からの贈与の結果だから。
多田先生から合気道を教わり、レヴィナス先生からは哲学的なものの考え方を教わり、いろいろな先輩たちから贈り物を受けとり、その恩恵に浴して仕事をしてお金を得てきたわけだから、僕には「お返しする義務」がある。反対給付義務だよね。この義務を果たさないと「何か悪いことが起きる」というのは贈与論の基本でしょう。
だから、みんなのために僕はお金をじゃんじゃん使う。でも、そういうお金の使い方をしていると、みんなが「内田先生がもっとお金持ちになりますように」とひそかに祈ってくれる。この「祈りの力」は侮れないんだよ。
逆にいくらお金があっても抱き込んで絶対にみんなのためには使わないという人がいたら「あんなやつお金をなくしちゃえばいいのに」とひそかに思うでしょ。この「呪いの力」も侮れない。
アジールをつくるということ
凱風館をつくるときに最初に考えたのが、災害があったときに避難所になることのできる場所をつくろうということだった。「アジール※」をつくろう、と。多田先生に伺った話だけれど、先生が道場に入門されたのは1950年の3月、そのときに合気会の本部道場の一隅には、空襲の被災者の家族がまだ生活していたんだって。その人たちの邪魔にならないように稽古したと笑って教えてくれた。
先生は「道場の隅に罹災者が居着いていて迷惑だった」と言いたかったわけじゃない。そうではなくて、道場というのは「そういうもの」である、と。そのことを言おうとしていたんだと思う。
※アジールとは聖域、平和領域を意味するドイツ語。そこに逃げ込んだ者は保護され、世俗的な権力も侵すことができない聖なる地域や避難所のこと。例えば江戸時代の日本では徳川家とゆかりの深い寺が離婚を切望する女性の駆込寺 (縁切寺)だった。
お寺で修行するところも道場だけれど、ここだって災害があって被災者が逃げ込んで来たときに「仏道修行の邪魔になるから出ていけ」なんていう仏教者はいないと思うよ。そんなこと言うやつには仏道修行する資格はないよ。
武道の道場だって同じだと思う。困った人がいたら逃げ込める場所じゃないと道場とは言えない。何か起きたときにはみんなここに来て、寝泊まりしていいよっていう、そういう場所をつくりたかった。
もうひとつ重要なことは、道場は「外部」に通じている場所だということ。外部というのは、世俗の論理や価値観が通じない場っていう意味。武道というのは、調えられた心身を通じて超越的なエネルギーを発動するための技術だから、「超越的なもの」を迎え入れることのできる場がどうしても必要。だから道場というのは神仏を勧請するのと同じように一種の宗教的な行の場でもあるんです。
そういう「外部」に通じている、アジールであり、かつ修行の場であるような場所が日本中あちこちにぽこぽこ出来て、その「ゆるい共同体」が「ゆるく」連携する。それが社会的孤立を解決するための有効な方法だろうと僕は思っています。
つながりをつなぎ直していく
インタビュー・執筆:青木真兵/編集:熊井かおり
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