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D×Pと社会を『かけ合わせる』ニュース
D×P×ユキサキライター

自分の子どもがいる人しか子育てに関わらない社会を、考え直したい。「大人の友だち」の可能性を考える

92年生まれ、31歳。ライターの清藤千秋と申します。結婚していて、子どもはいません。

働き世代のなかでも、いわゆる「子ナシ」と呼ばれる私と同じ属性で共感してくださる方は多いのでは、と思うのですが、生活の動線に、子ども、全く登場しないですよね?

昔、家に「深夜寝に帰るだけ」という生活を送っていた会社員時代、ある休日に家の外に出たら地域の祭りをやっていて、そこが子ども、子ども、子どもで溢れかえっていたのにビビったことがありました。自分の家の周りにこんな子どもおったんか……

冷静に考えてみると、「自分の子どもがいる人しか子育てに関わらない」いまの日本の状況って、けっこう変じゃないですか? 

自分で産まなくても「育てる」に携わる選択肢はもっと増えていいはず、と私は昔から常々思っていたのですが、その思いをより強くしたのは、自分の住んでいる場所で学習支援のボランティアを始めてからのこと。

突然なんですが、今回の記事では、「大人」と「子ども」の新しい関係の可能性についての私の気づきをシェアしてみたいなと思いました。

働いてばかりだった私が子どもと接して気づいたこと

以前、お金ないけどコツコツ寄付してるよ、という記事をD×Pタイムズで書かせていただきました。転職で収入が上がった私が、忙しすぎて社会のために何もできていないことへの罪滅ぼしのような気持ちで「そうだ寄付しよう」と思い立ったときの話です。

当時の寄付の宛先は、「マリッジ・フォー・オール」に月々3,000円。そして、「全国児童養護施設総合寄付サイト運営事務局」に月々1万円。

2021年にフリーランスになったとき、収入が下がってしまったのですが今度は時間ができました。なので、申し訳なく思いつつ児童養護施設への寄付は解約にして(寄付は、本当は少額でも『細く長く』続けていくのが運営的には助かるそうです!)、お金ではなく時間を提供しようと、家の近所で小学生に学習支援のボランティアを始めるに至りました。

週に1回お宅にお邪魔して、勉強を1時間教えるという活動が、もう2年ほど続いています。

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子どもと接するのはけっこう不思議な体験です。同じことを何回言っても覚えてくれないかと思えば、「いつそんなことできるようになったの?」という喜ばしい成長の階段をいつの間にか登っていることも。仕事でPDCAサイクルを回すのとは全く異なり、課題を最短距離で解決する! と意気込むより、ただ子どものとりとめもない話を聞くことに1時間費やすことの方が大事だったりします。

こうした体験から、信じられないほど大きな充足感、生きる喜びのようなものを得られることに、私は本当に驚きました。

社会人になってからというもの、私の時間の使い方というものは、「労働収入を得るための経済活動」と「そのエネルギーチャージのための余暇」にパッキリ二分されていました。しかし、ボランティアでそのどれにも属さない新たな時空が出現したように感じられたのです。

そうか、いま、資本主義社会がもてあましているのはこの時空なんだ、と私は唐突に理解しました。この時空では、労働に対する経済的な対価は発生しません。人はただ生きているだけでお互いに尊重し合える。優しくて、愛おしくて、つかみどころがない。社会で「無償ケア労働」とセグメントされ周辺に追いやられてきたものはこれだと。

そして、ひとつの家庭に継続して通うにつれ、「やっぱ家族だけで担うことが多すぎないか?」としみじみ実感したのです。週に1時間だけ過ごす私でもそう思うのに、これを毎日!?

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かつての無償ケア労働、そしていま

ボランティア活動を介して地域に目を向けるようになり、さらにわかったことがあります。

私がいま住んでいる区は、1970年代くらいに地元の主婦が立ち上げたボランティア団体がたくさんあります。高齢者向けの食事会、配食サービス、障害者支援など。ボランティアさんに話を聞いていると、子育てや介護をしながら社会との接点を探していた女性たちが、市民運動やボランティアへと流れていった動きがあったのだそう。

高度経済成長期、女性たちがいろんな活動を通じて地域を守っていた様子が見えてくるのです。

そしていま、ボランティア業界を悩ませているのが高齢化による担い手不足です。そりゃそうだ。私たちの世代はいま、生きるため働くのに必死でボランティアどころじゃないから。

子育てや介護などの無償のケア労働を専業主婦が担うことが当然だった時代を経て、女性に経済活動に参加する選択肢が増えたのは当然喜ばしいこと。でも、じゃあケアはどこに行くのでしょうか?

本当は、時代の変化と合わせて、現在のケアを取り巻く状況を根本から見直さないといけないはずなのに、この社会では、いまだにケアすべてを家族に担わせようとする傾向がないでしょうか?(そしてその「家族」が異性愛カップルを前提としがちであることにも言及したいです)

家族というものがあまりにも美化される傾向がないでしょうか?

家族なら分かり合える、家族なら助け合える、そんな常識を押し付け合うほどに、自己責任論を内面化した家庭はどんどん閉鎖的な空間になっていきます。これが、貧困や虐待が外から見えづらいという問題の土壌にもなっているのは明らかです。

「大人の友だち」という存在が持つ可能性

子育ての現場、子育て支援の現場では「ナナメの関係」の大切さがよく言われます。保護者はタテの関係、ヨコの関係は友人、ナナメは近所の人や親戚など、ちょっと遠い知人を指すそうです。

私がやっているボランティアはまさにこの「ナナメの関係」。専門的な知識があるわけではなく、影響力は限られていますが、家庭の孤立を解消していくことに少しでもつながれば、と思っています。

D×Pタイムズの記事で、教育研究者の山崎聡一郎さんに不登校の子どもたちへの声かけについて取材させていただいたとき、「大人の友だち」という言葉が登場しました。

「(子どもたちには)不登校や、学校の勉強の相談だけでなく、最近ハマっているものみたいな本当に他愛もない話が気軽にできる『大人の友だち』をつくって欲しいです。自分の話を否定せずにただ聞いてくれて、アドバイスをしてこない大人の友だちがきっといるはずです」

なるほど「大人の友だち」か! と、ハッとしました。週に一度だけその家庭に触れる私にとってはしっくりくる言葉に思えます。

自分の家で育てている子どもがいない人は、「私には子どもがいないから」と遠慮して口をつぐんでしまった経験があるんじゃないかな、と思います。まさに私がそうです。子どもを産み育てて一人前、みたいな社会通念がまだまだ根深く残っている以上、仕方のないことかもしれません。でも、いまのままのあなたで、いまのままの私で、どんなに微力でも子どもたちのためにできることって確かにあると思うんです。家族の外側にいるからこそできることが。

それは、ボランティアが教えてくれたことでした。

だから、「大人の友だち」という言葉には本当に大きな可能性が秘められているように感じます。

D×Pの活動「クレッシェンド」では、生徒とボランティア(大人)が関係性を築いていきます

断絶された関係性を紡ぎなおしていきたい

私たちはみんな、日々どこかで社会の機能不全のツケを払っているはずです。長時間労働も、上がらない給料も、蔑ろにされるマイノリティの人権も、お母さんがマミートラックに乗らざるを得ないのも、お父さんが育休を取りづらいのも。野菜は高いし学費も高いし奨学金は返さないといけないし、お金がぜんぜん貯まらないから投資どころじゃないし──。

そんな社会の不条理に、大人以上に限られた装備で立ち向かっていかなければならないのが子どもたちだと思います。自分の財産もない。選挙権もない。ていうかそもそも生まれる場所を選べないし、親から然るべきサポートを受けられていないばかりか、虐待や抑圧を受けている場合だってあります。

私たち大人はもっと、少しずつでも出来ることをすべきではないか。正直、駅で泣いている子どもに笑いかける・親をさりげなくサポートする、とかでもいいと思うんですよ。外でコーヒーを飲む代わりに毎月1000円の寄付に回す、という選択肢もあります。

自分の子どもがいない大人は生活の動線に子どもが登場しないこの国で、少しずつ、少しずつ、断絶された関係性を紡ぎなおしていく。これにはきっと、とほうもない時間がかかると思います。でも、「大人の友だち」が増えていくことは、既存のシステムからの抑圧に対する一つのレジスタンスになるんじゃないか……私はそう希望を寄せています。

子どもたちにはやっぱり、どこでどう生まれ育ったとしても「人生っていいもんだな」って思える瞬間を得てほしいと思うんです。いまは無理でもいつかは。その「いつか」は絶対にやってくるんだと、私は大人としてそう言い続け、いろんな形で手を差し伸べていきたい。

皆さんもこの小さな抵抗に、「大人の友だち」として参加してくれるとうれしいです!

執筆:清藤千秋(株式会社湯気)/編集:熊井かおり

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書いた人: 清藤 千秋
編集者・株式会社湯気 ライター

1992年千葉県生まれ。ライター。
ファッション業界、編集プロダクションを経て、2020年ハフポスト日本版に入社。ビジネス部門でクリエイティブディレクターとしてコンテンツ制作に携わる。現在はフリーランスのライターとして、 ジェンダー、SDGs、ビジネス、カルチャーなどのテーマで幅広く執筆。
2022年参院選で「女性に投票チャレンジ」参画。世田谷ボランティア協会情報誌「セボネ」編集員。

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